いろいろ雑記帳

ジェリー・イェンを応援します

ファンレター

私は過去にファンレターを書いて出したことが1回だけある。

 

John-Hoonに。

 

しかも、兵役に行っていたときで、除隊を待っているときに書いたファンレター。

 

John-Hoonが兵役に行っていたとき、John-Hoonは軍でラジオ番組を担当していたので

 

それをインターネットで毎日聴いていたけど韓国語だったので何を言っているのか

 

半分以上わからなかった。

 

ただ、ラジオ番組の最後に、

 

クメソ タシ マンナヨ(夢でまた会いましょう)

 

と毎回言っていて、これは覚えました。

 

これを聴いている兵役中の人(男)はどういう気持ち?とちょっと思ったりして。

 

ファンレターを1回出しましたけど、John-Hoonは記憶力がいいので

 

ファンレターをくれた人の名前を憶えている、と掲示板に書いてありました。

 

それで、質問した韓国のファンに、「あなたはファンレターでこう言ってましたよね?」と言ってた。

 

(韓国語だったので読むのに必死)

 

自分が出したファンレター、変なこと書いてなかったよね?と記憶の中で確認。

 

ちょっとこっぱずかしい思い出でもある。何か変なこと書いちゃったんじゃないかなとか。あれは書かない方が良かった、とか。

 

反省点もありますが、でも伝えられてよかった。 

 

このブログでは何回か書いているのですが、私の親は毒親で、都合でその毒親と同居を始めたころにJohn-Hoonのことを知ったんです。

 

で、泣きながらJohn-Hoonの『コウル』を聴いたりして。いまでもこの曲を聴くと涙が出そうになる。だんだん薄れてきているけど。

 

その当時の気持ちを忘れないようにここに書き残しておこう。

 

そういう意味もあって、当時の自分にとってJohn-Hoonの歌が支えでした。

 

当時はガラケーJohn-Hoonのファンサイトがあって、そこで「まりもっち」というニックネームでコメントを書き込んでいました。懐かしいなあ。いまは韓国の事務所に移っちゃいましたけどね。

 

体調を崩したときにJohn-Hoonのことを知って、療養生活をしている間、ずっとJohn-HoonのCDを聴いていました。

 

自分にとっては

 

John-Hoon=自分が体調悪かったときの思い出

 

って感じで(すみません!)

 

元気になった今聴いてみてもやっぱりそのときの記憶がよみがえってしんどい記憶ともセットになっているんですが支えになっていました。