いろいろ雑記帳

ドラマ、動画を観た感想

文学白熱教室 再放送

チャンネルを回していたら、カズオ・イシグロの回の文学白熱教室が放送されていたので最後まで観てしまった。

 

www6.nhk.or.jp

 

この方はノーベル文学賞に値する人なんだなあと改めて思ってしまった。

 

いままでこの方の存在を知らなかったけれども。

 

講演の内容は以下。

 

小説家というのは、フィクションを書くけれども

 

フィクションの中に普遍的な真実が含まれている。

 

何が真実か、というのは難しい問題だけれども

 

小説家として、真実を伝えることに使命をもっと感じなくてはいけない。

 

 

何が真実か、というのは大きな問題。

 

ノンフィクション作家や歴史家は真実を伝えるけれども

 

戦争の歴史のように、そこにはプロパガンダや嘘が含まれていることもある。

 

第二次世界大戦のときのフランスのように、ナチスドイツにユダヤ系フランス人を

 

供出してナチスに協力していた汚点を直視すると国が崩壊してしまう。

 

だから、汚点に目をつぶるという選択をした。それをいいか悪いかを論じることはできない。

 

そういう例は世界にたくさんある。

 

『Chicago』という映画は1920年代のアメリカの黒人ダンサーと白人女性の話だけれども

 

当時のアメリカでは実際にそういうことをしたら、黒人ダンサーはきっとリンチされていただろう。

 

そういうこと(歴史修正主義)を小説家がしていいかどうか、どこまでなら大丈夫かという線引きは小説家として意識していないといけない。

 

 

ノンフィクションや歴史家が事実を伝えることはできるけれども

 

それだけでは当時の感情を伝えることはできない。

 

小説というのは、感情を伝える最適なツールだ。

 

 

というような内容でした。

 

 

日本に関係するものとすれば、歴史修正主義ですよね。イシグロさんが言っていましたが、修正する側には弱さがあるけれども

 

弱さを責めてはいけない、修正された歴史を受け入れることでかろうじて国を保てる、平静を保てているんだから

 

もし真実を受け止めてしまったら国が崩壊する、

 

いつ真実を受け入れるかはそれぞれが考えなくてはいけない、

 

というところ。

 

この点はいまの日本や日本の周辺国にもあてはまるところがあると思いました。

 

とらえ方は国によって違うと思いますけれども。

 

記憶だけでこのブログ記事に書き留めているのでご本人の意図通りかどうかは不明です。

 

でも、小説を書くというのはこんなにも緻密なものなのか、と感銘を受けるような人柄でした。

 

ずっと集中して講演をされていて、講演を聴く側の方が集中力を保つことがむずかしいほどの気迫で

 

小説というのはここまで自分を追い込んで集中して書いているのかと驚きました。

 

知性の塊のような人でした。